《津軽三味線》 ざっくり三味線の歴史

目安時間:約 9分

日本の伝統楽器と言われている三味線は、

ルーツは日本の楽器ではありません。

 

かなり昔、紀元前まで遡り、中国が発祥だそうです。

三国志でもお馴染みの「奏」の時代にあった、

 

「弦鞀(シェンタオxian tao)」という弦楽器が進化して行き、

「三弦(サンシエン san xian)」という弦が3本の楽器になったそうです。

 

 

その時、胴には蛇の皮が張られていたそうで、ご想像のとおり、

沖縄の「三線」のルーツにもなった楽器が「三弦」だったのです。

 

 

その時から、歌の伴奏楽器として使われていて、

単独で弾かれることはほとんど無かったそうです。

 

 

話は戻りますが、沖縄三線は、14世紀頃、交易によって伝わり、

ほとんど形を変えずに発展したのが「三線」です。(当時は琉球王国)

 

 

三線から三味線へ

 

その三線が、日本へ貿易で伝わり、

徐々に本国仕様へ発展していったのが、「三味線」だそうです。

 

 

その歴史は、約500年。

 

伝統楽器ではありますが、2021年現在、日本は建国2681年で

世界で一番古い国でギネスにも登録されています。

 

 

その歴史から見ると、三味線は、最も新しい伝統楽器といえます。

沖縄の三線は「蛇の皮」を張っていましたが、三味線は

「猫」や「犬」の皮が張られています。

 

 

これは、土地に起因するもので、当時、

手に入りやすかったのが理由と言われています。

 

 

 

 

今でも当時と同じ様に、「猫」や「犬」の皮が張られていますが、

東南アジアの食肉用の皮を使用されています。

 

 

しかし、動物愛護の観点から、近年では、ファブリック素材などを

使用した、「合成皮」の開発が進んでおり、新商品も出てきています。

 

 

 

今も現存する?! 最古の三味線「よど」

 

歴史に詳しい方は「よど」と聞いて「ピンっ」ときたかもしれませんが、

1596年ごろに「豊臣秀吉」の命令で最愛の妻の名を冠した

「淀(yodo)」が、現存する最古の三味線とされています。

 

 

実は、この三味線の形から現在まで作りはほぼ、

変わらずに色んな人に演奏されているのです。

 

 

(イメージ)

 

 

この様に、最初は一般人には到底、手が出る楽器ではありませんでした。

しかし、江戸時代といえば、約260年もの間、平和だった時代です。

 

 

上流階級から、庶民へそして、都市部から地方へと

拡散していったと言われています。そのうえで、面白いのが、

 

 

今も昔も同じで、芸事や三味線が弾けると、

異性から「モテる」と習い始める人がたくさんいたとか。

 

 

女性で、三味線が弾けると、上流階級の人達の目に留まり、
裕福な家庭に嫁げる可能性もあったそうです。

 

 

津軽三味線の文化と盲目の人たち

 

 

ここらは諸説あるのですが、

当時「盲官」という目が不自由な方が就く役職がありました。

 

 

その最高位が「検校」(けんぎょう)といいいます。

12世紀頃より、盲人達は、

楽器を演奏して生計を立てる文化があったのです。

 

 

「琵琶法師」という名前をご存知かもしれませんが、

琵琶法師も盲目であり、琵琶を弾いていました。

三味線の「撥」(ばち)は琵琶の撥が小型になった物です。

 

 

津軽三味線は、しばし「伝統芸能ではない」と言われます。
なぜなら、三味線は、本来、舞台の伴奏を奏でる楽器であり、

 

 

厳しい稽古のもと、伝承されてきた芸事ですが、

津軽三味線に至っては、明治維新後、今までの体制が崩壊し、

 

 

「検校」(けんぎょう)も影響を受け、役職を失ってしまいます。

生活する為に、門付(かどつけ)という、人の家の玄関で演奏し、

小銭や食料をもらいながら生活をせざるを得ませんでした。

 

 

時代は変わり、生活をするうえで、自分自身をアピールしなければ
お声がかかりません。また、お座敷とは違い、屋外で演奏をするには、

大きな音量が必須だったのです。

 

 

その為、三味線の胴は大きくなり、棹や糸は頑丈に重く太くなり、

巨大化して行きました。更に、伴奏や前奏では、唄い手に負けじ、と、

独創的な演奏やテクニックで観客を魅了していきます。

 

 

そして、「曲弾き」(曲芸弾きと独奏を意味する場合と諸説あり)という
ジャンルを確立。津軽民謡の伴奏とともに、独自に発展して行きます。

 

 

 

 

稽古事として歴史と伝統を重んじる「細棹の三味線」と、
常に最先端を目指す「太棹の三味線」は、似て非なるものかも。

 

 

洋楽器コラボ演奏や、エレキ化、新素材誕生なども見て取れるので
『最先端の伝統』継承が津軽三味線なのかもしれません。

 

 

いずれにしても、明治時代に全盛期を迎えた三味線は、
昭和のバブル期を最後に時代と共に姿を見かけなくなり、

 

 

その数の変動は、1970年頃には年間で18000棹程が製造されていたのが、

2017年には年間で3400棹程度しか製造されなくなってしまったそうです。

 

 

三味線より、洋楽が主流になり、自然由来の材料が多く使われる

三味線の原材料の調達が困難になったのも理由といわれています。

 

 

主な材料である「紅木」「象牙」「鼈甲」など、ワシントン条約に

抵触するものばかりで、輸入が制限され、代替えの材料もあるものの、

品質が上まる物が少なく、現在は、国内にある在庫が流通するだけ。

 

 

その他にも、「お家制度」「流派」など、良くも悪くも「鎖国的」な

仕組みの為、情報も行き渡らず、高齢化時代を迎える厳しい現状です。

 

 

その一方で、海外の日本文化ブームや、アニメ、漫画などで

和楽器が題材になったり、学校の授業科目になるなど、新しい動きも。

 

 

ベテランにとっては、古い伝統かもしれないが、若い世代にとっては、

新しい楽器や文化とも言えます。津軽三味線だけにとどまらず、
「洋楽器×和楽器」のロックバンドも次々に誕生し注目を浴びています。

 

 

特に海外は日本よりもずっと、
和楽器の世界にアンテナを張っています。
(特に動画配信が目立ったパンデミック以降)

 

あなたも時代の潮流に乗り遅れる前に

和楽器の世界に踏み込んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

今日も良い1日を!

 

 

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